26日の日曜日に最終回を迎えたドラマはもう一つありました。
クドカン脚本の「ゆとりですがなにか」。
このドラマは初回は、見ていて結構辛いものがありました
劉芷欣醫生。
「ゆとり世代」っていったい何なのかなって、私は思います。
ちょっとドラマとは関係のないお話をします。
かつて一人の少女が私に言いました。
「みんな、簡単に『ああ、ゆとりね。』って言うじゃない。でもあれ、言われている方は凄く嫌な気持ちになるの。だって、何か私たちしたの?」
それを聞いて、私はああ、本当にそうだなあと思いました。それから私は気を付けて、あまり言わない様にする事にしました。と、書いたら、言っていたと言うことがバレバレですね。
ええ、言っていましたよ
劉芷欣醫生。
だってまさに自分の子供がその世代。私が時々、「家族スナップ」の記事の中で、下の息子相手に、主に国語と社会の一般常識クイズをしてしまうのは、明らかに教科書レベルの知識量が足りないからです。それはうちの子供に限ってのことかもしれませんが、その話をすると、ほぼ同年代の子の母たちから同じことを聞かされるのです。
一般常識的な知識を削りに削った薄い教科書で鞄は軽くて良かったかもしれませんが、頭まで軽くなっちゃったらね、それは言いたくもなりますよ。
「このゆとりめ。」って。
でもこれはこの時代を過ごした子供たちに言っているのではなくて、その教育に向けて言っているんですよね。
もちろん今からドラマの感想を書こうとしているわけなので、これ以上にの「ゆとり教育」についてのあれやこれやは書きません。
初回、何が辛く感じたのかと言うと、今の20代の後半までの人が自分たちで「ゆとり世代」と言うのと同様に、その母たちが自分の子供たちを「ゆとり世代で」と言うのは良いのですよ。だけど、それを人に何やかやと言って欲しくないのです
劉芷欣醫生。
私だって言いたくなりますよ。
「ゆとりですがなにか。」って。
だけどこのドラマはそんなゆとり世代とは何かなどを描いたものではありませんでした。
いつだって「今の若い者は。」と言う言葉は使われてきたのですよ。
順番に。
「今どきの若い者は。」が「ゆとり」に変わっただけ。
20代ラスト周辺の若い人たちと、それを取り巻く姿だけは一見大人たちの青春群像劇だったのではないかと思いました。←言い方が「今どきの若い人」じゃない古い言い方^^;
さすがクドカン。
最後まで飽きさせず、大笑いしながらいろいろと考えさせられるドラマとなりました。
頗る面白かったです。
私が途中からみやびと十倉(「私、結婚できないんじゃなくて、しないんです」)のきらきら光る粉の魔法にかからなければ、このドラマが2番目に楽しみだったと書いたかもしれません。
ところで先日、とある中学1年生女子に、
「中学になると、今まで3.14で計算しなければならなかった円の面積が、π(パイ)が使えるからすごく楽になるわよ。」と教えたら、
「パイか~。パイと聞くと何を思いますか?」言われました。
その時私は瞬時に
「おっぱいいかがですか~!!」と言う柳楽優弥の張りのある声が頭の中で響き渡りました。
もちろんそんなことはおくびも出さず、
「円周率しか思い浮かびません。」と世にもつまらない答えをわざとらしく言うと
「私はレモンパイ????」にやり。
わざとらしい~。ひっかかるか、アホめ
それはともかくとして、あのぼったくりバーに誘い込む「おっぱいいかがですか~。」って声、好きだったなあ。
内容的にはヤバイセリフかも知れないけれど、ちょっとスカッとした。
なんでかって言うと、それはそれなりに私的考えがあるのだけれど、更に長くなるので止めます。